歌う時の「喉の感覚」について【フースラーとリードはどう考えたか?】

​皆さんこんにちは!

歌声クリエイターの「ゆーま(U-ma)」です。

 

 

今回は「歌う時の喉の感覚」についての内容を少し書いてみたいと思います。

 

いつもよりは、若干難しいかもしれませんが一度最後まで読んでみてくださいね。

では、いってみましょう!

喉の感覚(調整)とは?

発声学の権威であるフースラーは、著書「Singen(うたうこと)」の中でこう書いています。

(すぐに簡単に解説するので、読みにくい方は飛ばしても大丈夫です)

 

 

〜偉大な歌手たちが、歌うことに関して「筋肉なしで」と言ったとすれば、彼らのそういう感覚は次のように解釈すべきである。
すなわち、筋および筋群は、生理学的に正しく働いているときでも、その運動を初めて体験する場合には、初めのうちはその筋または筋群を感知し得るものなのである。
しかしながら、その筋が目覚めてくるにつれて、それを感知することはしだいに少なくなるのである。
そして完全な働きをしている筋肉は、特に注意を払わないかぎり、もはや自覚されない。
すなわち、歌うときに、いつまでたっても喉頭を感じる人は、必ずまた妨害されているのであって、その場合少なくとも誤った相手役がまだ入り込んでいるのである。〜

 

 

少し翻訳が難しいですね。

でも大丈夫です。簡潔に説明します

 

 

上記の、フースラーの一文はとても大切な内容を記しています。

 

まず【偉大な歌手が筋肉なしでと言ったとすれば】という記述。

 

この一文から読み取れることは「技術が完成している歌手は外部コントロールから解き放たれている」ということです。

 

「筋肉なし」という感覚は、ただ歌うこと(表現すること)だけに集中しても自由に声が出ることを意味します。

(喉を閉めるや、開けるなどといった喉の感覚調整に一切意識が向いていないのです)

 

 

次に【その運動を初めて体験する場合には、初めのうちはその筋または筋群を感知し得るもの】という記述。

 

 

例えば、初めて純粋な裏声(ピュアファルセット)を出した瞬間に感じる閉鎖筋群の弛緩、共鳴感覚の変化、などの体感は新たな体験としてハッキリと感じることができます。

 

 

ただ、訓練を繰り返してゆき純粋なファルセットを的確にいつでも当たり前に出せるようになるとどうなるのでしょうか?

 

当初あった新鮮な感覚は当たり前の感覚に変わっていくため感知しなくなっていきます。

 

 

これは訓練を経て習得していく様々な発声に当てはまります。

 

このことを、続けてフースラーは記述しています。

 

【完全な働きをしている筋肉は、特に注意を払わないかぎり、もはや自覚されない。
すなわち、歌うときに、いつまでたっても喉頭を感じる人は、必ずまた妨害されている。】

 

 

 

要は、技術が進歩していくに従って細かな感覚というものは衰退してゆきアバウトなイメージで発声器官が調整されていくということです。(これはコーネリウス・リードのいうメンタルピクチャーです)

 

 

フースラーに言わせると、いつまでたっても喉のコントロールに意識が向くということは、声は喉の筋群に未だ妨害を受けている。ということですね。

 

 

結論としては上級者になればなるほど、喉の感覚や外部コントロールから自由に解き放たれていきます。

トレーニング初期のみ喉の感覚を追ってもOK

私のスクールでも、トレーニング初期の発声純化の際は「空気を多く」「口の外に空気や言葉を吐き出すように」などなど、様々な感覚的な要求をすることがあります。

 

多数の生徒さんはトレーニング初期、バランスの良い発声を知らないことが多いので感覚的に調整することもありますが徐々に、その感覚調整からは離れていきます。

 

 

綺麗な発声が当たり前になるからですね。

 

 

このように、「喉の感覚を追う」のは初心者やトレーニング初期の調整時のみです。

まとめ

まとめ①喉の感覚を追うのは、ほとんどトレーニング初期

 

まとめ②技術の進歩に伴って、喉の調整は自動的に行えるようになる

 

 

ゆーま
いつまでも喉の感覚を追い過ぎると、何が正解なのかが分からなくなることもあります。発声バランスが整ったら意識を「音質」に向けましょう。音質を自由に扱うことができれば表現の幅は一気に広がります。
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