皆さんこんにちは。
今日の記事は、僕のnoteという別の発信媒体で反響が大きかったものをこちらでもご紹介したいと思います!
(noteはこちらから、どうぞ♪)
タイトルは『年齢を気にするな!』です。
何かをスタートする時に「年齢的に遅いかな?」と考えてしまう方が本当に多いですよね。
なぜ気にする人と気にしない人に別れるのでしょうか?
そしてなぜ時間的な問題を気にしない人の方が高いパフォーマンスを発揮するのでしょうか?
その辺りの考えを書いてみようと思います。
時間という概念
そもそも時間という概念を考えた時に、時間とは『瞬間瞬間の流れが一方方向へ続いているもの』だと僕は思っています。
少し前にイギリスBBC制作のドキュメンタリー番組を見ていて、「太古の昔の人々は陽の傾きの影が、定めた岩と岩の間にあれば今は12時」のように認識していたと分かっているようです。
要は時間の流れは認識しようとしないと分からないんですね。
この影の位置のように、人間ってやっぱり凄くて、常に一方方向に流れる時間にピンを刺すように認識ポイントを作ったんです。
それが『儀式』です。
誕生日、入学式、成人式、婚姻届、離婚届、洗礼、その他全ての儀式は時間の流れにピンを差し込む認識作業そのものです。
例えば、カレンダーのように日時を表すもの(24時間単位で時間にピンを差し込みます)や、誕生日という儀式がないと自分がどのタイミングで10歳になるのか、もしくはもう10歳になっているのか全くわかりません。
婚姻届なんかも、婚姻届を出す前と、出した後の二人には何も違いはないのですが本人たちは何月何日何時何分に「夫婦になったんだ!」と認識できます。
このような『儀式』を幼少期から絶え間なく繰り返すことで、「6歳から小学校」「高校は18歳で卒業」「20歳から成人」という概念に慣れていきます。
アバウトな概念にはピンは刺せない
じゃあ、子供と大人の境目はどこですか?
20歳の誕生日?骨端軟骨が閉鎖した成長期の終わり?成人式直後から?
そんなのないんですよ。
時間は瞬間瞬間の地続きなので、本当は境目は無いんです。
だから10歳の時の僕と、今の僕は、ちょっとずつシワが増えたり、背が伸びたり、ブラックのコーヒーが飲めるようになったり、考え方が変わったり、新聞読めるようにはなったけど、別に境目は無いんですよ。
だけど『儀式』に慣れていると、自分で『儀式しちゃう』んですよね。
「もう35歳だ」ってピンを差し込みます。癖ですね。
本当は時間に境目は無い。
時間を気にしない人だけが何者にもなれる
僕の運営するボーカルスクールでも、年齢に縛られていない人ほど本当に成長速度が早いです。
理由は簡単で、思考が成長の足を引っ張らないからです。
ちなみに僕は高校を21歳で卒業しました。(一回ドロップアウトでその後復帰)
23歳から本格的にピアノ。
30歳過ぎてから歌だけで生きてます。
多分、普通に考えたら遅いんじゃないでしょうか?
23歳からピアノ始めて、音楽だけで生きていくなんて両親にもシバかれそうになりましたからね。笑
でも、僕は全くその辺りを気にしません。
逆に年齢に対するこだわりも全く無いので、相手が5歳の子でも凄かったらお金を払ってでも教わります。
年齢や時間は考えるだけ無駄です。
やりたいことの足を引っ張ります。
境目はどこにもないので、あなたは「35歳」じゃなくて「あなた」なんですよ。
ピンを抜きましょう。いつからでも何でもやれます。