声の歴史を考える【ボイトレって何?フースラーの理論】

皆さんこんにちは!

歌声クリエイターの「ゆーま」です!

 

今回の記事テーマはいつもとは視点を変えたものにしようと考えました。

発声学の権威でもあるフースラーや、リードも発声というものを捉える際にまずは歴史的観点からアプローチを開始しています。

 

 

 

「歴史的な観点」と「医学的な事実」がリンクした時に、初めて発声の謎に迫ることができたのです。

 

 

ただ歴史と言っても、難しく考えることはありません。

簡潔に書いていきますので、読み終わる頃には理解できています。

では、早速いってみましょう!

歴史を遡る

皆さんは普段、言語を使って生活しています。

(日本人は日本語、イギリス人は英語のように)

現代であれば、会話というものもテクノロジーの進化により電子メールなどで言葉を発しなくてもコミュニケーションが可能です。

 

 

では、少し時代を巻き戻してみましょう。

 

ここは、まだテクノロジーの発達が完成していない時代です。

ですが人々はコミュニケーションを取っています。

人と人は、主に直接的に会い言葉を発しながら生活しています。

まだ間接的なコミュニケーション(電話や電子メールなど)が発達していないのです。

 

1日の中で言葉を発する時間は今の時代と比べると確実に多いことが分かります。

(これは運動量も同じです。例えば幕末時代の文献などでは「飛脚」のように届け物を運ぶ際も山を自分の足で越えなければ相手に渡せないことが記されています)

 

 

では、さらにさらに巻き戻します。

 

ここは言語すらも未だ完成していない時代です。

ですが人々はコミュニケーションを取っています。

「咆哮」や「音の高低差」、「音の強さ、弱さ」などを巧みに使いながらです。

(イメージとしてはターザンの咆哮や、原始人の「ウホウホ」といった強く腹圧のかかった声の出し方です)

 

 

さて、ここまで時間を巻き戻した中で1つのポイントに照準を合わせてみましょう。

 

それは「各時代で声帯の構造は変わっているのか?」ということです。

 

声帯構造は変化したのか?

ここまでを見てきて、気になることがありますよね。

昔と今の人間の声帯構造には変化があったのか?ということです。

 

 

答えは、「衰退しているが、変わっていない」です。

 

 

生物学的には、人間も動物も時代に合わせて進化しなければ生きていけません。

裏を返せば、必要のないものを衰退させていくことも進化と考えられます。

 

 

例えば、人間の脳(特に大脳)は劇的に進化し大きくなりました。

どの動物よりも高次機能を使い、難しいことも解明できます。

 

 

では身体的なものはどうでしょうか。

人間全体でみれば間違いなく時代を追うにつれ身体は退化しています。

(研究によると、足の土踏まず形成が未熟になりつつあり、足の小指末端の関節が無くなっている人も存在してきているようです。これは文明の進化により歩く、走る、という動作が激減したことによります)

声帯本来の能力を取り戻す

フースラー理論の原点はこの部分です。

 

「退化しているが本来持っている能力を取り戻す」

 

 

先程の歴史の説明で書いた通り、声帯の構造は変わっていないのに時代を追うにつれて声が退化しているのであれば、正しいトレーニングによりその機能を取り戻すことが可能です。

(幕末の「飛脚」を再び例に出せば、今の時代の私たちも本来は山を越えて届け物を届けることを繰り返すほどの脚力を本来は持っています)

 

 

このように歴史的観点からの「声」の考察は、とても意味のあるものです。

まとめ

まとめ①時代の変化により声帯機能の退化が起こっている(他にも身体的進化、退化はある)

 

まとめ②声帯構造自体が変化していないとすれば、声帯本来のチカラを呼び戻すことが可能である

 

まとめ③歴史的考察と医学的事実を結ぶことで発声学は立証されてきた

 

 

ゆーま
歴史的に「声」を見ると、ボイトレの本質が明確に見えてきます♪
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